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目に見える炎こそまださほど出てはいなかったものの、
実は有害なガスも発生しつつあっての、結構 空気が悪かったらしく。
気分が悪くなったという人々が救急隊の措置を受けていたりする。
ひと頃 鍋の取っ手を焦がした程度でも働く“誤作動”が問題視されていたが、
最新の警報装置、侮るなかれ。
なので やたら作動して五月蠅いと、スイッチ切っているご家庭は反省した方が。
“そういや、先程は非常ベルも鳴りやんでたな。”
ギクッ。
き、きっと一度電源が落ちるかどうかしたんじゃないですかね?(苦笑)
そんな当該ビルから一足先に出た芥川としては、
人通りも結構ある街路に空気の清浄さを感じ、
ああ、まだまだ火事場と呼べるよな惨状を呈す現場ではなかったけれど、
やはり随分な場所にいたのだなと実感しつつ、
消防活動が始まっているのをちょっと間ほど見やる。
いかにもそそくさと離れては、
あとあと“怪しい人物がいた”という証言の候補に挙げられかねない。
芥川にしてみれば真相ははっきりしているのだが、
それ自体も例のオーナー氏が取り繕うのが今から目に見えており、
居もしない何者かなんて話まで繰り出された日にゃあ、
とっとと立ち去った挙動から そんな存在にされかねぬため、
しばらくほど、何かあったんだろうかという素振りで
他のやじ馬に紛れるよう その場に居たものの。
「あ…っ。」
眺めている通りの向こうではなく、そんな人垣の中から唐突な声が上がって、
え?何なにという小声が 寄せてゆく波のように進んだ先。
舗道の縁へと飛び出したそのまま、
随分と小さな影が、何か長々引き摺りながら駆け出してゆく。
「犬?」
「やだかわいいvv」
「ダックスくんだvv」
「え? でもそっち行っちゃあ…。」
消火活動にとやって来た消防隊の方々が、
立ったり座ったり駆けまわったり忙しくなさっている方へと、
何の騒ぎかも判らぬまま、自主的に参加しに飛び出したらしくて。
「ベルちゃんっ、戻って来なさいっ!」
わざわざ愛犬連れて見に来たわけじゃあなかろう。
たまたまお散歩コースでこんな騒ぎとなっていたという順番なのだろうに、
そんなのわんこちゃんには判りようがなく。
なになに? 何でこんな一杯 人がいるの?と興奮しきり、
小さなお尻ごと短い尻尾をピンピンと振り散らかして、
甘茶色のダックスフンドくん、ちょこまかと小さな身であちこちへ駆けてゆき、
ふんす・ふんすと鼻先突っ込んでみていたものが、
新しい消防車がざざぁとすべり込んできた気配に驚いたか、
見るからにびびくぅっと撥ねてから、よほどに混乱したか
選りにもよって問題の雑居ビルへと突進してってしまったからさあ大変。
お忙しい消防士の方々には何が起きたか判ってなかろう足元のこと。
野次馬たちから“わぁあ”という歓声が上がったのへキョトンとなさったものの、
何処かに新しく火の手が広がったかな?というのを
頭上へ探そうとなさるばかりで足元なんぞ見もしない。
双方の温度差に歯がゆくなったか、
人垣側から誰ぞが飛び出しかかる動きがなくもないけれど、
「危険です、下がってください。」
警察関係の方だろうか、別の制服姿の屈強なお人が腕を伸ばして遮ってしまわれる。
「………。」
場所柄ともお犬さんとも一切関係はなく、他人事にすぎない展開だったし、
警察やら消防署員やら、顔が差すこと間違いなかろう官憲陣営が多数お集まりな場だ。
ポートマフィアの禍狗たる、黒獣の主としては、
幾許かの尺を経たのち、そそくさと立ち去るのが正解に違いないのだが、
『あれぇ? キミ何処から入って来たんだい?
ほらおいでおいで。ありゃ、人見知りしているの?
困ったなぁ。あ、そっちは空気が悪いから行っちゃダメだよ。
ボクが怖いのかい? 虎の目や手は引っ込めてるのになぁ。
あああ、階段昇ってったらダメだって、
上の方が何か暑いから、直接火が出てるとこがあるようなのに。
ああ、こら、待って待ってってば。』
どうしたものか、
どんな悪漢にも卑劣な悪党にも昂然と構えられるくせに
小犬一匹を相手に右往左往している敦少年の
そぉんな様子があっさり想像出来るようになった我が身が恨めしい。
“いやいやまさか。いくら任務中ではないにせよ、
強盗事件の犯人を身柄確保している最中だぞ?”
なのに気を散らすことがあるだろか。
見るからに幼げで、世間知らずな風体の
ようよう手入れされた子犬の迷子相手に、
そんな馬鹿なことをしでかすものか………
……………………………………………………。
自分は気が短い方ではない、と思う。
待機する任務も幾つもこなした身、
何より太宰さんと会えずに4年放置されてた。
(あ・でもその間 大人しく待ってたわけじゃあなかったかな?)
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
(意訳;あああああああ、ああもうっッ )
◇◇
消防隊の消火活動の方も、
住民は避難しきっているらしいとの誤報を鵜呑みにしてか、
大外からの散水から掛かっていたようなので。
状況に任せていては事態がますますと混迷を極めそうな予感がし、
苛立ちから切れてというより、はぁあと深々と溜息をついてから。
出て来たルートをこそそと後戻りし、
インテリアの一部か壁に垂らされてあった暗幕を手繰り寄せて肩にかけ、
そこから生じさせた新たな黒獣を伸ばして伸ばして。
二階への階段を上り詰めた辺りで子犬を懐に伸びていた誰かさんを
グルグル巻きにして捕獲すると、こっそり救い出した。
自身はズボンのポッケへ両手を入れて そっぽを向いて立ってただけだったし、
そんな青年の足元に落ちてた陰が一瞬ぶわりと震え、
音もなく伸びてったそのまま、しばらくして戻って来たような不思議現象、
火事騒ぎの方へ皆がたかっている最中だ、
暢気に見ている者などいなかったし、
居たとしたって自身へさえ説明できるものじゃあなく、
木洩れ日が見せた錯覚か幻だと、自身へ言い聞かせるに違いない、
というわけで、
『…あれ?』
『あれ、ではないわ。』
仔犬が飛び込んでったのは不慮の事故だが、
それを何とかしようとして無様に引っ繰り返ってた旨を訥々とあげつらわれ、
想像した通りの体たらくだったぞ、まったく手のかかると叱責されたのへ、
『…ごめん。』
しょぼんと肩を落とした虎の子くんへ、ふんと鼻息荒くもため息ついた兄人だったが。
『あ、でも。犬は?それに○○さんは?』
意識がない間に、さして離れてはいなかろう公園の中のベンチに座らされている身より、
自分を振り回した元凶たちであるそちらを案じる彼なのへ、
芥川がますますとその双眸を細めてややむっかりしたのは仕方がない。
この自分がらしくもなく助け出してやったのに、
この身を動かしてしまったのに、なんだその態度はと、
胸元へ組んだままだった腕をほどくと、短い前髪の下の額をちょんとつついてやって、
『消防隊のいる際で開放してやった。
弱っていたがすぐにも抱えていかれたから問題はなかろうよ。』
○○氏の方は大人だから何とかしようと確認してもないけれど、
自分を助けた存在があったこと、実は気づいておられたと、
後日に令状が太宰経由で届いて判ったので良しとして。(おいおい)
『ポートマフィアが人命救助など。とんだ笑いものになってしまうわ。』
『ううう。』
仰る通りと項垂れたものの、やや俯けた顔のまま視線をちょろりと持ち上げて、
『でも……ホントは優しいじゃない。』
『奇異なことを。』
『ボクなんか放っておけばいいのに。』
『…。』
阿呆、やつがれを一度でも叩き伏せた奴がこんな呆気ない死に方されては
間抜けすぎて洒落にならんわと、容赦なく言い置いて。
再びしょぼんと項垂れた子虎くんの頭に乗っかった白銀の髪を、
それでも穏便な所作でぽすぽすと軽く叩いてくれると、
『さて、行くぞ。』
『え? あ・うん。』
とっとと居ぬぞと先に立って歩み出し、
今日の予定はおじゃんになっちゃったと言うに、どうするのかなと思っておれば、
不機嫌そうだったお顔をいつの間にやら小さな苦笑に塗り替えつつ、
『鼻がおかしいままだろう。』
そうと言って、来いと細い顎をしゃくるようにして歩み出した末に、
「イングリッシュガーデンまでバラ展を観にって連れてってくれました♪」
「ほほぉ、それはまた。」
内装材や壁材が、火を出して燃えるところまではいかぬまま、
されど高温に炙られての毒性の高い異臭を放っていたらしい現場にて、
くったり昏倒していた身を気遣ってくれたらしく。
「お昼を奢ってくれたり、シャツや靴を買ってくれたりもして、
そのくせ、男が可愛いなぞと口にするなとか言うんですよね。」
でも、鏡花ちゃんからも時々可愛いって言われるしと言い返せば、
それとそれは違うと云われましたが。
何だか微妙な言い回しをする少年へ、
「う、うん。それは確かに引き合いに出し間違えてるよね。」
「え? そうなんですか?」
指摘されキョトンとした辺り、
あの子ってばちゃんと言い諭してはないのも甘いなぁと、太宰が苦笑する。
此処はすったもんだがあった翌日の探偵社。
昨日はどう過ごしたの?と、
休み明けの後輩くんへ話を振れば。
他の人へは話せないことだからだろう、それは嬉しそうに、
でも、内緒ですよとわざとらしく口の前に人差し指を立ててから語ってくれたのが、
この若さで一般人の何人分もの仰天体験を積んでいよう男を、
色んな意味から おやまあと仰天させた“事の次第”で。
“まま、確かに可愛い子だものね。”
過酷な過去に粘り強くも鍛えられたこれも成果か、
か弱そうな風貌に見合わぬ強靱な気骨を秘めているくせに、
日頃の気性は まだまだ甘くてゆるい、何とも困った白い少年。
太宰自身もそこを煽ったお陰様、
芥川にしてみれば ただただ憎いばかりな敵対者だったろうに。
彼の唯一必須の“強さ”という物差しにてもぐいぐいと成長を見せたのみならず、
どうしようもなく真っ当すぎる、人を信じすぎ、自己犠牲が強すぎる敦なことへ、
莫迦かこいつはと呆れつつも、居ても立ってもいられぬ情動に襲われてしまう。
そんな少年を放っておけず、手を伸べ、目を掛けてしまう。
世の無常を知っており、
正道ばかりじゃあ生きては行けぬとようよう知っていても尚、
どこかで心根が真っ直ぐなればこそ、
無垢なものへの憧れのような想いがそうさせるのだろか。
様々な衝突や共闘をくぐってののちのことだから、
半端なそれではない蓄積あっての末に、
叱咤もすれば毒づきもするものの、
結局 敦には“やさしいお兄ちゃん”な関係に落ち着いている黒獣の青年であるようで。
「気にかけてもらってばかりで悪いっていうと、
では貴様にしか出来ぬもので返してもらおうかなんて言うんですよね。」
はい?
「回りくどいところは治りませんよね、あいつ。」
ふふーっとくすぐったそうに、でもちょっぴり甘やかに微笑って、
「暑くなったら出来ないしね、今夜でもいい?って。」
「敦くん?」
「虎の腕で枕してやりました、、、って はい?」
ちょっと焦った教育係さんだったことへ、
かぶさったお返事を中途にして“どうしましたか”と目を丸くした子虎くん。
片や、かぶさったところを素早く掬い取り、
ああそっかと太宰がホッとしたのは言うまでもなく。
仲がいいからこその屈託のないお付き合いは是非ともと奨励したい彼なれど、
こんな格好でドギマギさせられようとはフェイントも甚だしくって。
油断も隙もないなぁと、どう考えても勝手によこしまな想像をしただけなくせに、
余程に恥ずかしかったか、ンンンっと咳払いをわざとらしく落としてから、
「そういう危ない省略会話をするもんじゃあありません。」
「えっとぉ?」
お後がよろしいようでvv
〜 Fine 〜 18.06.02.〜06.12.
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*暑くなったら出来なくなる虎のモフモフ枕。
そんなものエアコンを点ければいいだけのことと
あっさり言い放つ黒のお兄さんへ、
「…そういうのは贅沢じゃなくって無駄遣いっていうんだぞ?」
ついつい言い返した虎くんだったそうな。
*ちょっとおまけ→ ■

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